十味敗毒湯を作った華岡青洲は、全身麻酔で乳がんを手術した最初の医師!

十味敗毒湯という薬をご存知でしょうか?

おもに皮膚炎に使われる漢方薬で、乳がん治療時の皮膚の不調にも効くと言われています。

実は、この薬を作った華岡青洲(はなおか・せいしゅう)は、世界で初めて全身麻酔で乳がんの手術をした医師です。

その手術の成功の影には、過酷な人体実験に挑んだ家族の存在がありました・・・

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村医者の父を見て育った青洲

江戸末期1760年11月30日、青洲は紀伊国那賀郡名手荘(現:和歌山県紀の川市西野山)の小さな農村で生まれました。

華岡青洲画像
引用元:日本の漢詩文

青洲の家は、代々医師の家系でした。

できるだけ多くの命を救うことを村医者の使命と考えていた青洲の父、直道。

貧しい人からはお金を取らずに治療していたため、華岡家の暮らしは楽ではありませんでした。

診察の様子イラスト
引用元:にっぽんの病院

1782年、22歳になった青洲は、医学を学ぶため京都に出ます。

そこで青洲は、古方派の医師・吉益南涯から古医方を、外科医師の大和見水や伊良子道牛から外科技術を学びました。

古医方とは、昔の聖人の医学を今の時代に再現するという医学です。

吉益南涯イラスト
引用元:FC2ブログ

京都にいるあいだ、青洲はさまざまな医学書を買い集めました。

それらの医学書の中でも、永富独嘯庵(ながとみ・どくしょうあん)という医師が書いた漫遊雑記に、青洲は大きな影響を受けました。

永富独嘯庵石碑画像

引用元:天白ひらこしHP

35歳という若さで他界した独嘯庵は、古方派に欠ける部分は西洋医学で補うべきだと主張していたのです。

漫遊雑記には、乳がんの治療法も記されていました。

青洲がその本を読んでいたことも、のちに乳がんの手術を行うきっかけの1つとなったと言われています。

神医「華佗」の秘薬を作りたい!

医師である父の献身的な態度と、病気で苦しむ患者たちを見ながら育った青洲。

京都で学んだ外科手術で、患者の苦しみを和らげ、命を救いたいと考えていました。

しかし、当時の外科手術にはまだ麻酔がなく、患者たちは切り裂かれる痛みに耐えながら手術を受けていたのです。

手術の様子画像
引用元:ハンゲーム

足を切断するときでさえ、泣き叫ぶ患者を抑えつけるしかありませんでした。

こんな激痛をもう我慢させたくない。

青洲は、いつしかそう思うようになっていました。

麻酔作りイラスト

引用元:医は仁術

青洲が集めた医学書の中で、大きな影響を受けた書がもう1つあります。

薬学や鍼灸に非凡な才能を持っていた、中国後漢末期の伝説的な医師「華佗(かだ)」の書です。

208年に没した華佗は、自分で作った薬で患者を眠らせ手術を行っていました。

華佗画像
引用元:壹讀

約1600年も前に、麻酔薬を発明し手術を成功させた医師がいた・・・

その事実は、青洲にとって衝撃的なものでした。

華佗の手術は当時の人々からすればまさに神業。

多くの患者を救った華佗は、神医と呼ばれていたそうです。

この華佗の薬こそ「麻沸散」と呼ばれる世界初の麻酔薬でした。

麻沸散イラスト
引用元:新唐人亜太台

しかし、その成分が何であるのか詳しい記述は残されていなかったのです。

まさに幻の秘薬。

青洲は、その伝説の麻酔薬を再現しようと思い立ったのでした。

薬は完成したものの・・・

京都からふるさとに戻った青洲は、25歳の若さで父の後を継ぎ、同郷の加恵と結婚しました。

村人の診察に明け暮れる忙しい毎日。

村人診察画像
引用元:知音の旅人

それでも妻に支えられ、青洲は麻酔薬を作り始めました。

詳しい処方のわからない華佗の薬、麻沸散。

漢方薬のマンダラゲ(曼陀羅華)が含まれていることだけはわかっていました。

マンダラゲの根には鎮痛作用や幻覚作用があるのです。

マンダラゲ画像
引用元:@inftyブログ

しかし、それだけでは麻酔の効果はありません。

マンダラゲに組み合わせる薬草を探すため、青洲はわずかな時間を見つけては山へと出かけていきました。

努力のかいあり、青洲は、マンダラゲを含む6種類の薬草に麻酔効果があることを発見します。

そうして見つけた原料の1つがトリカブトでした。

トリカブト画像

引用元:ウィキペディア

現在でもよく知られているようにトリカブトは猛毒です。

飲む量を間違えれば死んでしまいます。

青洲は、配合する分量などの試行錯誤を繰り返し、できた薬を野良犬に飲ませ効果を試していました。

薬を飲んで死に至る犬もいたため、一時期、村から犬が消えたとさえと言われています。

天使になった犬イラスト

研究を始めてから10年。

青洲は、ついに動物実験に成功し、麻酔薬の完成にこぎつけました。

そしてこの薬を通仙散(つうせんさん)と名づけました。

しかし、動物で試した時と同じ効果が人間でも得られるかわかりません。

人間に麻酔が効くかどうか確かめるには、誰かが実験台になって試す必要があったのです。

人体実験を目前にして、青洲は行き詰まってしまったのでした・・・

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人体実験を申し出た母と妻!

そんなある日、青洲の母、於継が言いました。

「実験は、私を使ってやりなさい。」

すると、それを聞いた妻の加恵も、姑にそんなことはさせられない自分が実験台になると言い出したのです。

自らを実験に使って欲しいという母と妻。

青洲の母と妻画像

引用元:宮嶋八蔵日本映画四方山話

失敗すれば死んでしまうかもしれない。

最初は申し出を拒んだ青洲でしたが、母と妻の強い意思は変わりません。

悩みながらも、青洲は2人の身体を使って実験することを決断しました。

通仙散を飲んだ於継は、半日のあいだ意識を失うように眠りました。

薬が効き過ぎた妻の加恵は、3日間眠り続けました。

実験を繰り返した結果、とうとう於継は命を落としてしまいます。

さらに、妻の加恵も麻酔の副作用で両目を失明してしまいました。

失明イラスト
引用元:医は仁術

大切な2人の家族を犠牲にしてしまった青洲。

あきらめるわけにはいかない・・・

青洲は、その後、自らの身体を使って実験を続けていきます。

薬を作り始めてから20年。

ついに幻の秘薬は完全な形となったのです。

手術で乳がんを治したい!

通仙散を使って、青洲が行おうと考えたのは乳がんの手術でした。

乳がんの切除自体は16世紀頃から欧米で行われていました。

しかし、手術の際の麻酔はありませんでした

また、当時の日本では乳房は女性の急所だと思われていました。

乳房を取ると命にかかわるため手術はできない、と考えられていたのです。

しかし青洲は、ドイツの外科医ハイステルの書により、西欧では乳がんが摘出されていることを知っていました。

ハイステル画像

引用元:ウィキペディア

さらに「牛の角で切り裂かれて乳房を失った女性の乳がんが治った」という事例も知っていました。

青洲の妹の於勝が乳がんで亡くなっていたことも、青洲が乳がんを手術で直したいと思った理由の1つだったのかもしれません。

患者「勘」の勇気!成功した手術!

青洲が挑んだのは、60歳の女性「勘」の乳がんを摘出する手術でした。

1804年9月の初旬、青洲の診察を受けた勘の左の乳房は赤く腫れあがっていました。

乳がんで腫れた勘の胸挿絵

引用元:和歌山県立医科大学附属病院紀北病院HP

勘の左の乳房には、1年前からしこりがあったのです。

乳がんで姉を亡くしていた勘は、このまま放っておけば自分の命も危ないとわかっていました。

前例のない全身麻酔での手術に挑む勘。

青洲は勘の勇気に感動し、

「予の治術の攻撃を聞くに、皆恐怖して去る。

此の婦人は然らず・・・」

と記録しています。

勘の手術イラスト

引用元:医は仁術

1804年10月13日、世界で初めて全身麻酔を用いた手術は成功しました。

乳房から、がんの部分だけを摘出した青洲の手術方法は、現在の乳房部分切除術にあたります。

手術方法の絵

引用元:津山洋学資料館

術後の経過も良かった勘は、手術後20日ほどで故郷へ帰ることができました。

しかし残念なことに手術から4ヶ月後、勘の命は尽きました。

乳房全体に広がっていたがんが、手術では救えないほど進行していたためだと思われています。

この手術の成功により、青洲の名は日本中に知れ渡りました。

治療を求めて全国から集まった乳がん患者の数は実に152名。

青洲が手術した乳がん患者の名前は「乳巌姓名録」に遺され、そのうち33名の経過が明らかになっています。

乳巌姓名録画像引用元:和歌山県立医科大学附属病院紀北病院HP

術後の生存期間は、最も短い人で8日、最も長い人では41年。

平均すると2~3年というものでした。

乳がんの発見が難しかった当時、多くの患者は勘のように進行性の乳がんだった可能性があります。

それを考えると、青洲の手術の成績は素晴らしいものだと言えるでしょう。

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1人ひとりの患者に向き合う

1835年11月21日、家人や多くの弟子が見守るなか、青洲は76年の生涯を終えました。

1952年には、外科を通じて世界人類に貢献したとして、シカゴにある国際外科学会付属の栄誉館に祀られました。

青洲の故郷に作られた華岡青洲顕彰記念公園には、青洲自作の漢詩が書かれた石碑があります。

青洲記念碑画像

引用元:華岡青洲顕彰記念公園、華岡家墓地

「竹屋蕭然烏雀喧  風光自適臥寒村  唯思起死回生術  何望軽装肥馬門」

自分は何の富貴栄達も望まない。
自然に恵まれた田舎に住んでいるが、
ひたすら思うことは瀕死の病人を回生させる医術の奥義を極めたい、ということのみである。
金を儲けて絹の着物を着たい、立派な馬に乗りたいとは思わない。
日々、患者の痛みや苦しみに心を痛め、
どのようにして患者を救えばよいのか、何とかならないものか、
そればかりを思う毎日である。

青洲銅像写真
引用元:ヒストリップ

青洲は弟子たちにも、

「自分の医術は心に浮かんだことに手が反応するもので、口で表現することも、文章に書いて表現することもできない、そんなものはカスのようなものである。」

と話し、著作は残しませんでした。

青洲は、患者のさまざまな病気や病態には、豊富な知識と卓越した技術をもって、臨機応変に対処するしかないと考えていました。

1人ひとりの患者に向き合う、オーダーメイドの医療。

いつの時代の医療にも必要な教えではないでしょうか。

青洲のもう1つの薬「十味敗毒湯」

江戸時代の薬を作る人イラスト
引用元:富山小林製薬

青洲は、通仙散のほかに荊防敗毒散(けいぼうはいどくさん)という薬をもとにした、もう1つの漢方薬を作っています。

15の生薬からなる荊防敗毒散は、体内の毒素を取り除く薬です。

青洲は、この薬から6つの生薬を抜き、ボウソクという生薬を加えて10種の生薬にしました。

生薬の種類を減らしたのは、種類が少ないほど効き目がシャープになるからです。

また、散剤であった薬を吸収の良い湯剤に変更し、効き目が早く現れるようにしました。

10種の生薬で毒素を取り除くこの薬を、青洲は十味敗毒湯(じゅうみはいどくとう)と名づけました。

十味敗毒湯生薬画像

引用元:オリーブ薬局ネット支店

体の表面に異変が現われる病気を治療していた青洲は、現在は皮膚科で扱われている病気の治療も手がけていました。

そんな青洲の経験にもとづいて作られた十味敗毒湯は、皮膚の腫れや赤み、かゆみを取り、化膿を抑える薬として、現在も皮膚疾患の際に処方されています。

ちなみに、現在手に入る十味敗毒湯には、ボウソクではなくオウヒを配合したものもあります。

オウヒは皮脂の分泌を抑えるので、過剰な皮脂分泌でニキビができているに人は、オウヒ配合のほうが良さそうです。(クラシエや小太郎漢方製薬など)

ボウソク配合のものは、悪性の腫れ物の治療にも使用され、皮膚の化膿に有効だそうです。(ツムラ)

また、皮膚の塗り薬である紫雲膏も青洲の処方によるものです。

現在も薬局などで販売されています。

紫雲膏画像

引用元:紫雲膏(しうんこう)・漢方軟膏の専門サイト

乳がんの治療で傷んだ皮膚に

ところで、私が華岡青洲や十味敗毒湯について調べたのには理由があります。

私自身、3年前に乳がんを患い、手術、分子標的薬の点滴、放射線治療、ホルモン治療といった治療を受けてきました。

どの治療の副作用なのか、もはやわかりませんが、もっとも悩まされた副作用が皮膚の異常だったのです。

特に顔に現れた、赤み、腫れ、湿疹、熱感、痛みはひどく、腫れあがったまぶたのせいで視界が狭くなったほどでした。

顔がブツブツイラスト

引用元:汗止めるんや!

病院で処方されたぬり薬で副作用を起こし、その副作用を抑える薬でまた副作用・・・

どんな薬にも過敏になった私の皮膚に処方できるのは、もうプロペト(医療用に精製度を高めたワセリン)という保湿剤しかありませんでした。

そんな時、私と同じ乳がん治療時の皮膚疾患で、皮膚が薄く敏感になっている人に、十味敗毒湯が効くという記事を見かけたのです。

さっそく薬局で購入し、飲み始めて3ヶ月。

完全に綺麗になったとは言い難いですが、繰り返し現れていた腫れと湿疹のひどい状態は脱することができました。

今は、プロペトやベビー用のワセリンしか塗っていませんが、症状は落ち着いています。

プロペト画像

引用元:ERINA日記

「敗毒湯」というだけあり、便通も改善されたように思います。

漢方薬は、人それぞれの体質によって効き目も大きく変わりますが、今のところ私には合っているようです。

思えばいま私は、青洲が確立した乳がんの手術を受け、青洲が作った皮膚の薬を飲んでいるということですね。

その事実を知ったとき、不思議な感動がありました。

アンパンマン画像
引用元:やなせたかしCom

青洲や、その母や妻が、命を懸けて遺してくれた医学に守られているのだなと・・・

人が並々ならぬ情熱をかけて確立したものは、長きにわたり多くの人たちに恩恵を与えていく、ということを実感したのでした。

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